渋谷・PARCO劇場のオープニングシリーズとしても話題を呼んでいる舞台『佐渡島他吉の生涯』。たっぷり笑えてたっぷり泣ける昭和の傑作が、2020年の今、新たに生まれ変わります。新しいPARCO劇場で、主人公・他吉役の佐々木蔵之介さんにお話を伺いました。
他吉は、ピンチの度に泣くんですけど、でも、それを上回り笑いにして生きようとする。泣いて笑って、たまに怒り狂って。ものすごく情に厚い。そこがとても魅力的。親戚のおっさんにいたらちょっと迷惑だけど(笑)、愛おしくてチャーミングで、アホやなぁと思うけど憎めない。そんな主人公だと思います。
――舞台は大阪。佐々木さんは京都ご出身ですが、関西弁でのお芝居はいかがですか。
映像作品では関西弁の役は何度かありますが、舞台では、実は初めてなんです。だから、自分でも新鮮です。森さんが関西の芝居はイントネーションだけではなく、身体全体で刻む、あのリズムがいい。そこをなんとか関西圏出身の役者さんに助けてもらいたいと。
確かにちょっとしたやり取りでも関西弁特有のリズム感やグルーヴ感というのがあるので、その空気感みたいなものは関西圏の出身同士だと共有しやすいと思いますし、面白さは出てくるかなぁと思います。
森繁さんが愛したセリフを、自分の身体に落とし込めるのが幸せ
――他吉は、昭和の名優・森繁久彌さんの当たり役でもありますが、そのことについてやりがいや責任は感じていらっしゃいますか。
今のところ、まだそこまで考える余裕さえないのが本音ですね(笑)。でもこの『佐渡島他吉の生涯』は、森繫さんがとても愛していらっしゃった戯曲だとお聞きしています。演じるだけでなく、潤色担当としてご本人も手を加えていらっしゃるので「本当に好きな作品だったんだな」と思います。(演出の)森さんが言うには、シーンごとのオチがいちいち面白いと。これはきっと森繫さんが再演を繰り返し練られたんだろうと。そんなに愛していた作品のセリフを、自分の身体に落とし込めるのが幸せです。
「たくましい人間が見たい」という言葉が響いて
――1959年に初演された『佐渡島他吉の生涯』。原作は小説の『わが町』(織田作之助・作)です。PARCO劇場のオープニングシリーズとして、「大阪が舞台の人情もの」を上演すると聞いた時の感想を教えてください。
最初にお話を頂いた時は「『佐渡島他吉の生涯』を渋谷で!?」と正直戸惑いました。新生PARCO劇場のオープニングシリーズのラインアップの中では、かなり異質ですよね(笑)。実は演出の森さんがとにかくオダサク(織田作之助)作品が好きだそうでいつかやってみたいと温めていたそうです。時代背景は変われど、名もない市井の人間の、変わらない日々の生活が描かれているのが好きだと。
「この戯曲は大変やぞ」と思っていたのですが、森さんの「たくましい人間、たくましく生きている人間が見たい」という言葉を聞いて、「わかった。これ、やろう!」と思いました。
――この戯曲は大変、と思われたのはなぜですか?
40年間を演じる、つまり「(役として)40年間を生きていく」というところですね。他吉が何度も口にする言葉に「人間、体を責めて責めて働かんと一人前にならへん」というのがあるんですが、70歳になってもずっと言い続け、死ぬ間際までそれを体現するんです。今は戯曲を通してずっと彼の生き様を読んでいるのですが、このPARCO劇場の舞台に立ったら僕自身の生き様も見え隠れすると思います。正直怖いですけど、たくましく舞台を務めあげたいと思っています。
森新太郎さんは、作品への愛がある。信頼できる演出家です
――演出の森新太郎さんは「いつか佐々木蔵之介さんと喜劇が作りたかった」とコメントしていらっしゃいます。森さんとの再タッグへの意気込みを教えてください。
森さんはジャンルを問わず幅広く演出されていますので、今回の戯曲でもその力を存分に発揮されると思います。それぞれの役者の持ち味や能力を見極めて、役者がちゃんと役と向き合ってさえいれば、それを引っ張って評価してくれる。それはやっぱり演劇が好きで作品と真摯に向き合っているからこそだと『BENT』でご一緒させて頂いた時に感じました。さらに今回はご自身が大好きなオダサクの作品ですから、妥協せずに理想を追求さるると思いますので、そこに乗っかって森さんの理想に応えていきたいです。稽古中にたまに垣間見えるチャーミングな笑顔を引き出せたらなと。あの笑顔をみると『この笑顔の為にいい芝居しなきゃ』と思えるんです。
――森繁久彌さんや森新太郎さんから、非常に愛されてきた作品なんですね。とても楽しみです。
舞台からの景色を見て、「PARCO劇場に帰ってきたな」と思いました
――明治、大正、昭和を生き抜いた庶民のドラマを描いた今作。令和の時代に観ると、また新しい捉え方ができるかと思います。令和の今、この舞台をやることについて、どのようにお考えですか。
他吉のようなオッさんは、ひと昔前には確かにいたんです。他吉は働いて働いて、死ぬ間際まで働き続けます。それでも生活は一向に楽にはなりませんでしたが、最後まで笑って生き抜いた。今の時代の、効率的にとか、無駄を省くとかではなく、猛烈に生き抜く人間の根源的なものが伝わるのではないかと。カッコいいなと思ってもらえるんじゃないかと思うんです。
先ほど、新しいPARCO劇場の舞台に少し立たせていただいたのですが、舞台からの景色に3年半前の面影があって。「あ、PARCO劇場に帰ってきた」と思いました。客席数は増えたそうですが、傾斜の角度は旧パルコ劇場と同じで、舞台から見える景色が変わらない。DNAを残しながら生まれ変わり、さらに大きくなっている気がしてうれしかったです。客席も中通路の幅も以前のままで、既視感がありました。劇場においても作品においても、時代が変わっても“人の生き様”みたいなものは残っている。400年前のシェイクスピア作品が変わらないように。この渋谷で、令和で、この作品と一緒に歩めたらなぁと思います。
――1998年に初めてPARCO劇場のステージに立ち、2015年の『マクベス』では1人20役を演じるなど、この劇場と縁が深い佐々木さん。PARCO劇場は、佐々木さんにとってどのような場所ですか。
初めてPARCO劇場に立たせていただいた時のことをよく覚えています。当時関西の小劇場で活動していたので、プロデュース公演で東京に出て来たのはそれが初めてでした。渋谷の街に、稽古を含めて2ヵ月くらい通いました。その作品で、映像の俳優さんや、新劇出身の役者さん、宝塚出身の女優さんなど色んな出自の方とお芝居をご一緒させて頂きました。その前までは「海外の戯曲で、外国人の名前を日本人がやるのん⁇」ととんがって思っていたけれど、「結局、舞台は同じだ。深いな、楽しいな」と自分の世界が広がるきっかけになりました。
それがちょうど29歳から30歳になる時。30歳の誕生日はPARCO劇場で迎えました。カーテンコールが終わって緞帳が降り、その舞台にケーキを持ってきてもらった思い出があります。この劇場で色んな演出家に会わせてもらって、色んな経験をさせてもらった。PARCO劇場は、“育ててもらった劇場”ですね。そういう場を与えてくださる小屋だったし、ソフトでもありました。
明治・大正・昭和の大阪を、僕が人力車でご案内します
――PARCO劇場がある渋谷は、佐々木さんにとってどのような街ですか?
生まれ変わって変遷している印象です。またここに1ヶ月通って、日々変わっていく様を見るのが楽しみです。
――再開発も進んでいるので、公演時期の5~6月はさらに景色も変わりそうですよね。劇場内の大阪の空気と、外の渋谷の街ではまた違った熱気がありそうです。
そうですよね。その頃はさらに変化しているだろうし、いいタイミングで来られるなぁと思っています。皆さんにも、もちろんこのお芝居を楽しんでいただきながら、渋谷の街やPARCOを見て回って、総合的に“観劇の日”を過ごしていただければなと思います。外は現代の渋谷やけど、劇場内は明治・大正・昭和の大阪。そこを僕が人力車でご案内します。
――最後に、佐々木さんがもしご友人や身近な方をこの舞台に誘うとしたら、どのような言葉を使って誘いますか。
喜怒哀楽すべてを楽しめます。哀しいんだけど、笑っちゃう。今も昔も変わらず人間ってアホやけど、可愛らしいなと思える。そして、どんなに過酷な状況で辛くても、必ず輝く瞬間はある。
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